歴代シェフインタビュー: 第3回 2009年代表 ラヴニュー 平井茂雄シェフ(前編)

2022年8月16日火曜日

WCM21/22 インタビュー 大会-概要 大会-日本

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「ワールド チョコレート マスターズ」(以下「WCM」と表記)に出場された歴代シェフの皆様をご紹介。

神戸北野の「ラヴニュー」オーナーシェフである平井茂雄シェフは2009年WCM第3回大会に出場し、前回大会の水野直己シェフ(洋菓子マウンテン)に続き見事優勝、大会2連覇を飾りました。

平井シェフのフランス修行時代のエピソード、WCM出場当時の裏話や今大会のお話などをお伺いしてきました。
平井シェフのワクワクするお話に惹きこまれ、気づいたらあっという間に1時間のロングインタビューとなりました。まずはインタビュー前編をお楽しみください!


勉強嫌いのフリーターから製菓の道へ

― パティシエになろうと思ったきっかけを教えてください。
元々、そこまで勉強が得意なタイプではなかったんですよね。高校を卒業した当時は遊びたい盛りだったんで、就職するわけでもなく、進学するわけでもなく、フリーターみたいなことをやっていた期間が一年あったんですね。ただ自分の場合、半年ぐらいで「このままの生活だとやっていけない」っていうものに近い感覚に陥っちゃったんですよ。実際不安にかられるっていうよりも、このままでは生きていくことってできないんやなって思ったんですね。

その時に、勉学の道よりも自分自身で何かものづくりをすることが性に合ってるんじゃないかなっていう風になんとなく思ってたんです。じゃあどういった仕事をやるのか?って考えたときに、昔から味覚に携わることにすごい興味を持っていたので、お菓子屋さんもしくは調理師の世界を目指そうと思ったのがきっかけです。ですからその当時は、一生涯の仕事っていうよりかは「とにかく何かをしなければ先に進まない」とか「今後の生活自体が今までの感じだと成り立たない」っていう思いが強かったので、とにかく専門学校に入って、調理師の免許を取ろうって思ったのが始まりです。

両親は普通のサラリーマンです。母親は青果問屋、中央卸市場で働いてました。父親は冷凍食品を扱うところでね、市場の仕事ですよね。二人とも勉学で生計を立てるわけじゃなかったです。親と共通するところはそこぐらいじゃないですかね。

― 高校卒業後、一年間何もしていなかったことや、製菓の道に進む時のご家族の反応は?
反対は一切なかったんですね。親としては進学っていうのがうっすらとあったんでしょうけれども。自分の将来を見据えた中で、専門学校に行くって自分で決めてそれを親に伝えました。それに対しては「行っておいで!」に近いぐらいでしたね。そこまでで将来の進路に対して職業に対して口うるさく言う親じゃなかったんで。ただ、プー太郎に近いようなことをやりたがっているっていうところに関しては、多少言われた記憶があります。

― 料理の世界ではなく製菓の道を選んだ理由は?
お菓子は見た目が華やかじゃないですか。料理の世界よりは甘く考えてたというかね、お菓子の世界の方が若干緩いのかな~と。料理人の世界は見るからに厳しい世界だなっていうのがわかるんですけども、華やかなものってそこまで辛い労働条件、職人性にイメージが直結しないじゃないですか。あんまり体育会系すぎるところも、一生やっていくにはちょっと難しいかなって。ですからあんまり考えて決めた訳じゃないですね。

ただ、実際はやっぱり凄い体育会系ですよ。朝も早いし休みも月4回ぐらいしかないですし。朝5時半に出勤して、終わるのが21時、22時なんで。ただ僕は環境に対して文句を言うタイプではないんです。自分自身の知識のないところに飛び込むんで、それに携わることが楽しい感覚の方が大きかったんで。お菓子作りに対して、考え込むようなタイプじゃなかったんですよ。

高校まで、スポーツはやってましたよ。中学までは野球、高校がラグビー。団体競技をずっとやってたんでそこにはあまり悩まなかったです。

平井茂雄シェフ

渡仏は「外国に住みたい」が始まりだった?! 

― 2001年海を渡り、2年間フランスでの修行生活を送られました。
フランスに行こうと思ったきっかけは…まず、21の年に就職しましたね。お菓子屋さんの修行を始めて、「果たしてこの仕事を自分は一生やり続けることができるのかな」っていう想いが根底に少なからずあったんで。自分がもっと興味をもてる仕事が何かあるんじゃないかって思っちゃったんですよ。そう思ってた時期が、24~26歳ぐらい。

ちょうどその頃、親族の結婚式がオーストラリアであったので、そこで初めて外国の空気に触れて。自分は単純に「あ、日本を出てしまえばもっといろんな刺激がある。自分のものの考え方が変わるような環境に身を置けば、もっとワクワクするんじゃないか、仕事をしてても楽しいんじゃないかな」っていう風に思ったんですよ。外国で生活したいっていうのがその時の思いだった。

学生として文化に触れるもいいんでしょうけども、せっかく自分はヨーロッパの洋菓子っていうところに日本にいながら携わってたんで。そこに関連性の高い国に行けばなにかしら生活することができるんじゃないかなっていうのがそもそものスタートです。

フランス修行時代の食事エピソード

― 海外生活でなにか思い出深いエピソードはありますか?
当時費用面でパリの中には住めなかったんで、住んでいたのはパリの郊外。お店はね、トータルで四か所まわりました。学生ビザは収入を得ることができないんですよ。合法的に学生が得ようと思うと、語学学校に在籍しつつスタージュ(研修生)っていう形でお店に入って修練するしかない。結局のところお金がないわけですよ。当時マックスでもらえる金額が月3万~4万ぐらいじゃないですかね。その数年前は一円ももらえなかったんですよ。もしかすると今は制度が変わってる可能性もあるんですけれど。学生なので、色んな助成金とか補助が受けられるので、すごくお金が減ったかっていうとそうではないんですが、その中で食事をどうする?っていう話です。

ブーランジュリーが併設しているところだったんで、そこで焼き上がったパンを一日一本持って帰ってよかったんです。朝の勤務時は焼き上がったクロワッサン、それとプラスチックのコップにインスタントコーヒーを入れて、パンの横に粉乳があるから粉乳入れて、向こうの水道ってお湯の方の蛇口だけをひねると、70℃ぐらいのお湯が出るんで、カルキ、硬水バンバンのカフェオレ(笑)もろインスタント。沸ききってないお湯で作ったカフェオレとヴィエノワズリー食べて。お昼はバゲットかプティパンをもらう。冷蔵庫にあるグリュイエールチーズとジャンボン(ハム)を挟んで、黒コショウを挽いて食べるっていうのをほぼ一年半続けて。ニキビはできなかったです(笑)けど7、8キロは痩せてもて。でも、それが美味しくて美味しくて。

カップを持つ平井シェフ

一年目は星付きホテルのパティスリーに研修という形で入らせてもらって、その後は街の総合的にやってるパティスリー。パリ市内に15店舗ぐらい卸し先がある、工場セントラルに併設したような所で半年。残りの一年はずっとヴィエノワズリーにいたんですよ。先ほど言ったように、食生活で一番感動したのがやっぱり主食。朝はヴィエノワズリー、昼はバゲットかプティパン。自分にとって日本では得られなかった体験。毎食それでよかったんですよ。たまに、ベルヴィルの中華街に行って、ジャポニカ米と出前一丁、豚肉ミンチとかを買って帰って。それを月一回するぐらいですよ。残りは、働いていた研修先でのパンを毎日持って帰って来て。

コンクール≠美味しさ?シェフのコンクール観を変えた出来事

― パン職人の道に進もうとはならなかったのでしょうか?
ベースがお菓子で、その中でパンに興味があったっていうだけなんで、お菓子全般ができるようになれば良かった。元々、日本での修業先があんまりコンクールに肯定的じゃなかった。すごく尊敬しているオーナーのお店なので、お店の批判になっちゃうと自分も嫌なんですけど。それはそれで当時はとても良かったですし。

日本だとコンクールをよくやるお店が工芸菓子をやるっていうのがその当時の印象やったんですね。「美味しいものを作らずにコンクールに心血を注いでる」みたいな考えに陥っちゃっていたんですよ。

ただフランスに行って、その考えだけじゃないって気づいた。フランスには、お店の中に飾り工芸っていう工芸菓子の文化が根付いている。宗教の中に工芸菓子が文化としてある以上、それを作る担い手がお菓子屋さんの仕事であったわけです。それがヨーロッパの文化で、お菓子屋さんのカテゴリーの仕事だから、出来るに越したこと無い。そういったことをやる子達っていうのは、美味しいお菓子を勤務時間内に作って、仕事が終わってから自分の時間を使って鍛錬、修練してる。

「ああ、自分の考え方って相当甘いんやな」と。本国のそういう宗教文化の中で工芸菓子をやってる人たちがいるのに、自分はそこに目も向けず、否定的なことだけが頭のなかを占領していたことが、すごい恥ずかしかった。考えがすごく狭かったなって。そういう人たちを目の前で初めて見たんですよ。

日本のお菓子屋さんの構造ってすごい閉鎖的なんですよね。隣のお店でも厨房の中で何が行われているのか一切分からない。自分のいるお店が自分にとって一番いいお店、僕の作ってるお菓子はすごいお菓子なんだ、ぐらいの考えでいたんで。
ヨーロッパの職人さんはすごくオープンで、日本人の俺に対して「どう?茂雄。このお菓子ちょっと作ったけど食べて感想聞かせて」って。自分のお菓子を作って、評価してもらうということを年齢関係なくやっていた。それはもうコンクールに対しても同じ。自分より年齢が若いけど14、15歳から仕事をしているから自分よりキャリアが長く、美味しい物が作れて、仕事以外の時間もお菓子の勉強に費やす人たちがいる…単純にダメやなってなったんですよ。それがフランスから帰る直前。

その後に、2003年に行われたクープ・デュ・モンド・ドゥ・ラ・パティスリーの日本の代表で寺井さん・松嶋さん・野島さん*が出場して。初めて世界大会のコンクールに見に行った時に、すごいと思ったんです。「え、こんなことが出来るの?」って。

日本にいた時はコンクールに出ることを一切考えてなかった。「出ちゃダメ、そんな奴は許さん」ぐらい。「作り手である以上美味しいものを作るべき。美味しいものに繋がってないことをするな」っていうね。「職人として美味しいものを届けるのが主なので、それ以外のこと時間を費やしているのはけしからんことや」と。

もちろん、徐々にそういう考えもなくなってきてますよ。でも当時は閉鎖的な職場で、そこの長の考えに右に倣えですし、何か他の考えが入ってくる余地ってないんですよ。厨房の中が全て。だから自分のいるお店が一番で、自分が一番頑張ってるっていう感覚に陥っちゃうんですよ。

それがまだフランスに行ってガラッと変わったというよりかは、「あ、せやね。多分その考えは間違ってないけど、もっと色んなことを見ないといけないね」って。自分がいたお店の考え方も大事だし、ただその上にもうちょっとね、自分らしくアイディアとか考え方を積み上げていかないと、人生を積み上げてくっていう意味合いがないなと思っちゃったので。だからいたお店を否定する気もないですし、考えが広くなったっていうことです。

ひとつ、という平井シェフ


後編のインタビューはこちら
ワールド チョコレート マスターズ出場当時のエピソードや、大人気「モード」秘話についても語って頂きます。

*オテル・ドゥ・ミクニ(当時)寺井 則彦氏
 名古屋マリオットアソシアホテル(当時)松島 義典氏
 パークハイアット東京(当時)野島 茂氏

シェフプロフィール :
平井 茂雄
ラヴニュー オーナーシェフ
神戸市生まれ。辻学園日本調理師専門学校を卒業後、コムシノワに入社。
渡仏してホテル、パティスリー、ブーランジュリーで2年間修行して帰国した後、グランドハイアット東京に入社。
2009年に「ワールドチョコレートマスターズ2009」で優勝しワールドチョコレートマスター2009の称号を得る。
2011年にはフランスのチョコレートブランド、カカオバリーのアンバサダーに任命され、2012年春に神戸・北野に自身のショップL'AVENUE(ラヴニュー)をオープン。
2013年一般社団法人日本洋菓子協会連合会公認技術指導委員に就任。

SHOP INFO :
L’AVENUE
〒650-0003 兵庫県神戸市中央区山本通3-7-3 ユートピア・トーア1F
Tel / 078-252-0766 Fax / 078-252-0767
E-mail / info@lavenue-hirai.com
営業時間 / 10:30~18:00(日・祝~18:00)
定休日 / 水曜日 (火曜日不定休) 





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