歴代シェフインタビュー: 第2回 2007年代表 洋菓子マウンテン 水野直己シェフ(前編)

2022年9月16日金曜日

WCM21/22 インタビュー 大会-概要 大会-日本

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「ワールド チョコレート マスターズ」(以下「WCM」と表記)に出場された歴代シェフの皆様をご紹介。

京都府福知山の「洋菓子マウンテン」オーナーシェフである水野直己シェフは2007年WCM第2回大会に出場され、見事日本人として初優勝を飾りました。

水野シェフのパティシエとしてのキャリアの始まりからWCM出場当時の裏話など、盛り沢山な内容をシェフのお店でお伺いしてきました。

まずはインタビュー前編をお楽しみください!



家族旅行のはずがまさかの就職面接!パティシエ 水野直己の始まり

― ご実家が洋菓子屋さんですが、シェフは幼い頃からお菓子屋さんになろうと決めていたのですか?

全くです。お菓子屋さんって、家にお菓子がずっとあるでしょ。ずっとあるものってあんまり好きにならなくて、どちらかというと嫌いだった。例えばお好み焼き屋さんの家の友達はソース嫌いだし、お寿司屋さんの友達もお弁当が酢飯で嫌だとか、魚が嫌いとかね。お菓子屋さんになろうなんて一つも思っていなかったですね。

― その転機になったのはどういうタイミングだったんですか?

高校時代は無気力な人間で、学校もふらっとしか行かない感じ。進学か就職かっていう時に、親父に家族旅行に誘われて東京に行ったんです。旅行に行ったら面接が始まって、練馬の石神井にある「お菓子の家ノア」の社長に「やる気あんの?」って聞かれたから、「あります!」って返事をしていて(笑) やる気があるのか分からないけど、あるのか?って聞かれたから (笑)。寮のある会社だったので、そちらにお世話になるっていう流れですね。

当時は就職したものの、この仕事がやりたいという気持ちじゃなかった。ただ、しばらく仕事をする中で、お菓子を買いに来る人って皆幸せそうな目をしていて表情がすごい柔らかいなと気づいたんです。ショーケースの中からお菓子を選んでる姿を見て、「あ、結構いい仕事なのかも」って思い始めて、そこからのめりこんだ感じですね。

― お仕事をするうちに、この仕事で行こうと決められたんですね。

「お菓子の家ノア」は、当時では珍しくショーケースもしっかり構えてボンボンショコラも作るパティスリーでした。こういうもんだって思ってたけど、実は当時ボンボンショコラを作れる人ってあんまりいなかった。知らない間にショコラに触れて、ショコラのいろはを教わった感じです。

― 様々なお菓子を作られてきた中で、一番興味があったのがチョコレートでしたか?

僕は全般ですね。その店は本当に色んなことをやっていて、普通のパティスリーが作る生菓子、焼き菓子、ショコラ、アントルメ、アイスも工場で作っていました。普通のお菓子屋さんが持っていないアイテムを勉強させてもらった場所です。

フランス修行は飛び込みで履歴書バラまき!思い出のアンジェの地

― 2002年にフランスに渡り、2年間の修業生活を送られました。

当時、業界紙や雑誌で紹介されているシェフ達が、フランスに行かれて帰って来られて、すごいお菓子を作って有名になられて活躍されているのを見て、「やっぱりフランス行ってみたいな」って。自分が作るお菓子のパートいうか、その生地も全部フランス語で書いてある。本当に現地ではこの名前で呼ばれているのか?同じ作り方なのか?そこが気になり始めたんです。若いうちしか行けないだろうから行ってみようと思って「社長、行きたいです!」って伝えました。

自分で履歴書を刷って、現地のお菓子屋さんに飛び込みで履歴書を渡して。でも言葉ができないから「何言ってんだろう?」っていう顔されながら「ちょっと難しいね」って言われていたんですが、一社だけ履歴書をしっかり受け取ってくれて、来ていいよっていうニュアンスで言ってくれたお店がパン屋さんだった。


そこがすごく美味しいパン屋さんで。僕はフランスに行きたいっていうことが目的であって、食から外れなければ特にこだわりがない。

パンを教えてもらいながら、ひょんなことからパティスリーの方に呼ばれてお菓子屋さんに入ったり、チョコレート工房に配属になったり、色んなところに行かせてもらいましたね。

一年過ぎた頃には言葉も慣れてきて、色んなお店を見たいなと。ただ、今のお店はすごく気に入ってるから離れたくない。それで、切符もね、一年いたらさすがに自分で買えるようになってるから (笑)、当時いた店がルレ・デセールのお店だったから、休みの度にルレのお店を色々回ると、一日だけ働かせてくれるの。飛び込みで行くと「いいよいいよ~」って 結構簡単に受け入れてもらえる。アルザスのパティスリー・ジャック、それこそアンリ・ルルーさんのところも。いきなり行って、「寝るところは自分で用意するからご飯だけ食べさせて」って。その土地の美味しいものもいっぱい食べられるし、仕事も一緒に出来るし、楽しかった。

― 離れたくないと思ったお店や場所は他にも無かったですか?

ん~それはあんまり思わなかったかな。僕はロワールのアンジェと言うところにいたんですけど、こじんまりしてるけどなんでも揃ってるし、景色もすごくきれいな場所だったんです。今でも好きだし、フランスに行く時はなんとかして行こうとしますね。

パリは一ヶ月ぐらい、パン屋さんで働いたんですけど、その後地方に異動になって。ただ、パリは特に何も思わないというか…。あ、これ言ったら怒られるかな(笑)。パリで大会あるんだよね(笑)。パリはパリで良さはあるけど、本当のフランスっていうか、真髄が残ってる地方に行くっていうのはチャンスだったんで、僕にとってはそれが良かったですね。

― パン屋さんになろうと思わなかった?

自分は独立するとも思ってなかったし、フランスに行く前もレストランにいたでしょ。料理も面白いなと思ったし。パン屋さんで働くとパン屋さん面白いな、チョコレート屋さんで働いたらそれもいいなって感じで、食からは外れずに色んなことが経験したかったからね。

結局、フランスから日本に帰る時も「やったことがないことをしたい」と思って、ホテルで働くか、もしくは専門学校の講師だなと。どっちにしようか悩んだ時に、たまたまお世話になった二葉製菓学校の校長先生と知り合いだったんで。その人に、僕が「ここで働いてみたいんですけど」って言ったら「いいよ」って言ってくれたんです。だから、フランスにいるときに就職が決まって、帰国しました。

― フランスに行って変化したことは?

恥ずかしい気持ちがなくなったかな。道を聞くのも、なんか恥ずかしいじゃないですか(笑)ちょっと「え?どの人に聞こう?」みたいな感じになるじゃないですか。 

でも一番大きいのは「どの国でも甘いものがある国だったら自分は生きていけるな」と思ったこと。フランス人にフランスパン焼いて食わせたんですからね。まともに言葉ができなくても、ある程度の仕事ができると受け入れてもらえる。一年もすれば言葉もある程度覚えて友達ができるし。最悪でどこでも生きていけるって自信になったかな。

負けると思ったことが無い!経験者だけが知っている、コンクールの中毒性 

― 帰国後、コンクールに挑戦しようと思ったきっかけは何だったのでしょうか?

フランスに行った人やコンクールで優勝してる人が業界誌ですごくフューチャーされていて、僕もいつかやってみたいなと思ってたし、絶対負けないと思ってたんですよ(笑)。やったことないけど、俺の方が絶対すごいっていう(笑)。いつもそうなんですけど変な自信があって。でも、やってみると全然勝てない。入賞は常にしてましたけど、でも目指してるのは優勝なんで。入賞じゃもう悔しくて悔しくて。

そこから4年間ぐらいコンクールばっかり。休みの日も全部、仕事終わってからずっと。実はその間に結婚したんですけど、結婚して最初の2週間だけまっすぐ家に帰ってきて、あとは全部ずっとコンクールしてたって。それ、WCMで優勝した後に奥さんから教えてもらいました。「え?そうなの?ごめんなさい」って(笑)。奥さんは、小中学校の同級生なんですよ。田舎から東京に僕が呼んで結婚したんで、最初は友達もいないし、僕は帰ってこないし、大変だったと思います。


― そんな大変なコンクールですが、仕事と両立しながらコンクールに出る意義とはなんでしょうか?

意義なんてないかも…いや、あるな(笑)。ないことはない(笑)。コンクールに触れたことのある人なら分かることが多いですよね。コンクールっていうものを知らないままお菓子屋さんやってる人は、別にそれはいいんです。でもちょっと知っちゃうと、めちゃくちゃ大変ですけど、中毒性のあるジャンルだと思います。

まず優勝者は一人しかいないんで、何十人何百人は悔しい思いをします。その悔しさを次の大会にぶつけるっていう、ずっとその繰り返しなんです。そんな中で負けたもの同士、同年代の者同士が仲良くなっていくんですよ。普段の職場の中で出会える人間じゃなくて、話す内容や人生観、色んなことがすごく深い。だから仲良くなりやすいです。競技中はライバルですけど、普段は友達。平井さん(ラヴニュー 平井茂雄シェフ)とか小野林(ショコラトリー ヒサシ 小野林範シェフ)もそうだし、和泉のアニキ(アステリスク 和泉光一シェフ)以外、今いるメンバーは全員戦ったことある。

和泉のアニキは、天空の人(笑)。僕がチョコレートを始めるきっかけになった人です。アニキがWPTCっていう世界大会の予選に出た時、僕が勤めていた学校で予選をやったことがあるんですよ。その時にアニキが優勝したんです。その作品を持って帰ろうとしても絶対崩れちゃうから、勇気を絞って「ください」って、言ったんですよ。そしたら「いいよ」って。

その作品を見て勉強して。ちょっとわかんないっていう時は、他の大会で見かけた時に質問するんです。僕が作った作品も見てもらうんですけど、すごい褒めてくれるんです。褒めて伸ばすタイプなのかな?(笑)「いや、これお前の時代来たよ」くらいの感じで言ってくれる(笑)。

最初に出会ったのは、チョコレートのピエスモンテを作ってる時でした。その当時からもうアニキは雑誌の中ですごく活躍してましたね。


後編のインタビューは、9月20日(火)公開予定!

ワールド チョコレート マスターズ出場当時のエピソードや、大人気「杏と塩」秘話についても語って頂きますのでお楽しみに。

シェフプロフィール :
水野 直己
洋菓子マウンテン シェフパティシエ
1978年京都府生まれ。 高校卒業後、東京都内の洋菓子店、レストランに勤務。2002年に渡仏し、「Le Grenier a Pain PARIS」、「Le Trianon ANGERS」等で修業。 2004年に帰国し、東京・吉祥寺の二葉製菓学校に講師として勤務。 2009年に京都・福知山市の「洋菓子マウンテン」のシェフ・パティシエに就任し、現在に至る。  
ワールド チョコレート マスターズ(2007年)では日本代表として出場し日本人として初優勝するなど、受賞歴も多数ある。 自身のブランド「CELLAR DE CHOCOLAT by Naomi Mizuno」も展開中。 

2016年ジャパンケーキショー東京では、スタッフの平澤氏がカレボー賞(優勝)を獲得するなど、指導力の評価も高く、現在はアジアを中心に技術指導にも力を注いでいる。


SHOP INFO :
洋菓子マウンテン
〒620-0017 京都府福知山市字猪崎小字山本322
Tel: 0773-22-1658
営業時間: 11:00~18:00
お休み: 水曜日・不定休

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